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  • 山崎 美穂

人生を大切に生きるというのは、気づきを大切にすることだ。

「死んだら何も持っていけないよ」と言いますが、本当でしょうか?


死んだら、何もなくなると言いますが、本当でしょうか?



私が望む死に方は、ゆらゆらと眠りに入るような死です。


眠る前に、今日あったことを思い出して、楽しかったなと思いながら眠れるというのが、最高の寝入りかただと思っているので、


死ぬときも、過去のことを思い出しながら、「あー、楽しかったなぁ、あんなことあったなぁ。こんな気持ちになったなぁ」と


割と良いことを思い出して死にたいと思っています。




ところで、旅行がすごく好きな人が、身近にいますか?



あの温泉に入ったことがある、


あの城も見てきた、


こんな名物を食べた、



楽しそうにそんな思い出話をしてくれます。


それはそれで楽しいものですが、本人も楽しいのでしょうか?



私も旅行は好きだし、旅の思い出を話すこともやぶさかではありません。


けれど、旅行の話は、できたら、一緒に旅に行った人と、話したくありませんか?


その方が盛り上がりますよね。




話してても、一緒に行った人と、それ以外の人とでは、盛り上がり方が違う気がするんです。



それは、同じ記憶と経験を共有しているからです。


言葉では伝わりきらないものを、全部口で説明しようとしたら疲れます。


言葉で、首里城の門がこんなだった…と言ったところで、「城の門」くらいしか言えません。


聞き手には何も伝わってないのが、分かってしまう。


ところが、一緒に行ってくれた人には、「首里城の門」と言えば伝わるのです。




それだけでなく、首里城の門を思い浮かべただけで、そのとき自分が見た門の姿がありありと浮かぶだけでなく、その旅行で感じたことまでわーーーっと蘇ってきます。




その差は知識と、感覚の違いです。


私たちが人生から何か得る価値があるものがあるとしたら、それは知識ではなく、感覚です。


「美味しかった」

「ひんやりしていた」

「柔らかかった」

「口の中で溶けた」

「白かった」

「渦巻いていた」


ソフトクリームです。


ソフトクリームに関する、乳成分が何パーセントだという知識は、ソフトクリームを一口食べるという経験ほどの喜びを与えてくれません。


「美味しかった」「ひんやりしていた」「柔らかかった」「口の中で溶けた」「白かった」「渦巻いていた」…を総称して何というか知っていますか?


《気づき》です。


気づきは、ありふれたものです。




今、私たちはコロナのため、外出自粛を要請されてします。


私たちに入ってくる「新しい知識」や「未知の経験」は、連続してほぼゼロの状態です。


知識はもういいじゃないですか。


知識は無限にあって、ありふれています。


けれど、気づきは、あなただけのものです。




あなたが死ぬとき持っていけるもの。


死ぬまで持っていて意味があるもの。


それはあなたが、これまで人生から得てきた「気づき」です。


思い出とは、あなたがそのとき、新鮮に感じた「気づき」のことです。




「気づいた」けれど、その意味が分からなかった。


そういうこともあります。


けれど、意味も理由も分からない、その気づきの方が、きっとあなたは、



忘れられない。




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