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  • 山崎 美穂

鬱が一番怖い

目下、ブログの書き方を勉強しようと思って、グループでブログの添削をしてたら、急にブログが書けなくなりました。


書きたいことが分からなくなって、特に書かなくてもいいか…という気になりました。



今読んでいる「やめることからはじめる小さな改善」という本のエッセイから。


あなたにも「大丈夫か?」と心配したくなる相手はいるでしょう。上司なら部下のことを「この仕事ができるだろうか」「一杯一杯で心や身体が壊れないか」と心配し、友達なら「やりたいことがあると言っていたけれど、順調にいっているだろうか」と心配になり、家族なら「がんばったぶんの成果が出ているのだろうか」「元気でやっているのだろうか」と気になります。心配は相手のことを考えているのですが、とても厄介な側面を持っています。それは、心配している側に「自分が期待する状態」があるという点です。逆に言えば、こちらが期待し、理想とするような状態になっていないから心配するのです。


皆さん、「あっ」と思いませんでしたか?


私は思いました。


実は、私の頭に、それほど長い付き合いではないながら、とても親しくしている友人がいるからです。


10歳くらい年下なのですが、これまで、どちらかというと、私が一方的に世話になってばかりで、いつか恩返ししたいと思っていました。


その友人が、今、鬱で苦しんでいて、ついつい私は年上ぶって、世話を焼こうと、いらんおせっかい…つまり、この本で言うところの「心配」を友人に押し付けていました。




私自身、鬱を病んで、最初の仕事を辞めた人間です。


つくづくこの病気の難しさ、厄介さを知っています。


一旦この病気にかかったら、できることは本当に少ないです。




私は薬が全く効きませんでした。


ちょっとマシと思える薬、SSRIと呼ばれる薬の一つですが、それを長く飲んでいましたけれど、その薬が視力を低下させるという副作用が明らかになり、それから飲む薬もありません。


鬱病に限った話ではないかもしれませんが、治療法が確立されていない病気は、色んな薬を試されます。


向精神薬の場合、効果がないときは全然ないので、「ひょっとして、今飲んでる薬、いわゆるプラシーボ(偽薬)で、小麦粉を固めたやつなんじゃないだろうか?」と疑いたくなります。


効果が何一つないし、違和感もないと、そういう風に疑ってしまうのです。


特に発病初期は、自分がうつ病であることを疑いたいという気持ちがあります。


私は本当はうつ病なんかではない、と思いたいのです。


だから薬を疑います。




でも、向精神薬が、自分にあってなかったとき、猛烈な副作用が出たのです。


小麦粉丸めた丸薬じゃないか?と思っていた、向精神薬はやはり向精神薬だったのです。


私は薬を飲んですぐ(たぶん)、吐いて倒れました。それから三日、寝たきりです。


天井がぐるんぐるん回転して目が開けられません。ずっと目を閉じての三日。




身体から薬がある程度抜けるまで、対処法もないんです。


救急車を呼んでもらえてさえいれば、薬を吐かせてくれたでしょうが、それもなかったので「一生このまま」という不安と共に三日でした。


思い出しても脂汗が出るとはこのことです。


薬の怖さ、副作用の猛烈さを身に染みて感じました。




お医者さんは一度くらい、あの経験はした方が良いと思います。


無理やり薬を押し付けてくる人が多いからです。


「一生寝たきり」「社会復帰できないかもしれない」「廃人」「家族の邪魔もの」という言葉が脳裏に踊る三日間を味わってみたら、人生観が変わります。


健康と、生きていることの感謝、健康を失うことの愚かさを、一度「骨身に染みるほど」感じた方がいい。


生暖かい環境で、100年生き続けられると、思い込んでいたら、きっと健康のありがたみなんて実感は、薄っぺらいのです。




骨身に染みると書きましたが、臍を噛むという言葉もあります。


健康を失ったときの、ヒリヒリするような恐怖、吐きそうなむなしさ、虚無感、混乱、それらを味わったことがなかったら、私はこの鍼灸師という仕事につかなかったと思います。




そして経験者として、うつ病になったら負け、と言わせていただきます。


うつ病になる前となった後の自分を比べると、うつ病になった後の私は、はるかに賢いです。


易々と病気になった自分に腹が立つ、愚かだった自分が許せない。血で書きつけて、過去の自分に送り付けたい。


絶対に病気になってはいけなかったし、病気になった後、医者に言われるがまま、安易に薬を飲んでいた自分にも腹が立ちます。




お医者さんが、安易な気持ちで薬を処方しているとは思いませんが、あの恐怖を経験したこともなくて処方しているなら、大バカ者であることは間違いありません。


知らずに処方してはいけない薬です。


うつ病は治りました。でも一生寝たきりです、という可能性のあるものは、薬ではない。毒です。




私は、薬については、理性というより、感情的になっていると思います。


この文章自体が、かなり感情的です。




でも言わずにいられない数少ないこととして、言いたい。


うつ病に、自分を追い込んではいけない。


うつ病の治療法は、確立していない。


向精神薬による治療は、単なる人体実験でしかない。




どうしても薬を使わずに治すことはできないというなら、先に他の手段を徹底的に試してから言うべきだと思います。


うつ病に関しては、向精神薬による治療がベストとはどうしても思えません。


いや、治療というものを即「薬」と結びつけること自体が、そもそも治療法について責任を持っている態度ではないと思います。




最後に。


私は鍼灸でうつ病を治せません。


治療に取り組むことはできますが、治す方途をすぐに見出せそうもありません。


だから、皆さん、うつ病に、ならないでください。


うつ病に、ならないことについては、全力を尽くしてほしいです。




うつ病以外にも、治療法の確立していない病気なんかいくらでもあります。


やすやすと、安易に、自分が壊れる方向に舵を切らないで欲しいのです。


この世には7000ほども病気があって、6500は治せない、治療法が不明だそうです。


「こっち行くと、自分が壊れそうだなぁ」と思う方向を、最初から避けてください。


私たちは無知です。無力です。


誰も神様ではない。




病気になったらば、少しでも「治る可能性の高い」方向に歩いてください。


それでも「必ず」治るとは言えません。


それが人間なのです。


絶対善が分からないからこそ、最善を尽くしてください。




先日、Facebookで、健康になるのは悟りを開くみたいな難しいことと書きましたが、本音です。普通に、健康に、生きるというのは、それほど難関です。


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