感情は大事なものではありますが、
感情的なリーダーが困ったものであるのと同じで、
感情を、自分自身のリーダーにすえちゃあいけません。
古来、日本人は、心技体なんてことを言ってました。
心と技と鍛え抜かれた身体と、それらが一致して初めて、最高のパフォーマンスを発揮できる、と。
ところが、現在は、感情に従うことを、「純粋」なことだと考える風潮の方が強いです。
でもそんなの、嘘っぱちです。
なぜなら、感情は長続きしないからです。
私は、鍼灸師としての経験から、一人の人間も、複数の要素…ある意味チームで、運営されていると考えています。
まず、身体と心。
そして心も、感情もあれば理性もある。
天使の私と、悪魔の私が心の中で対立するという表現がありますが、心という舞台で飛び回る役者は、天使と悪魔どころか、野次馬、傍観者、冷徹な批判者…と様々な役者がいるのです。
ごくまれに多重人格の人がいるのではなく、そもそも人は多重人格なのではないかと思えるほどです。そしてその中でも一番ふわふわして、当てにならないのが、感情です。
山本周五郎の短編に『ならぬ堪忍』という本があります。
一人の少年が、友人の不当な侮辱に怒り、「絶対に勘弁ならん。奴を斬って自分も腹を切る」といきり立ちます。
彼の先輩が、「そうか、お前がそう腹をくくっているなら止めはしない。だがな、実は今、藩の一大事で…」とある秘め事を告白する。
「殿の大事に、お前は忠義より、自分の復讐を選ぶのか?」と、問われ、少年は、そういうことなら…と一旦は自分の復讐を棚上げし、表面的には普段通りの生活を送ると約束する。
そして、しばらくたってから、少年は先輩に「あの秘密のことはどうなりましたか?」と尋ねると、「ああ、あれは方便だ。お前は、堪忍ならぬと言っていたが、本当にそれはならぬ堪忍だったかな?」と言い返される…という話。
今で言うなら、『アンガーマネジメント』 と同じですね。
感情を、自分の王座に据えてはならないということについては、『7つの習慣』にも考えさせられますことが書いてありました。
『7つの習慣』に「終わりを思い描くことから始める」という章があります。
お読みになった方は、ご存じでしょうが、どんな話かというと、
ある葬儀に参列する場面からはじまります。
多くの方が参列する盛大な葬儀。行ってみると、なんと、棺に横たわっているのは、自分自身。それは今から三年後の、自分自身のお葬式だった!
さて、お葬式と言えば、定番のスピーチ。
配偶者
親しい友人
そして仕事関係者
あなたにとって、大切だった人たちからの「あなたについてのスピーチ」は、おそらく、結婚式以外では、葬儀でしか聞くことができません。
スピーチで、「私は、どんな親だった、どんな友人だった、どんな同僚だった…と語ってほしいだろう?」って、考えたことありますか?
感情にしたがって生きれば、スピーチを考えてくれる家族や友人を悩ませてしまうことにならないでしょうか?
「あの人は、色々やってたけど、結局なにがやりたかったんだ?」
「何を大事にしてた人だったんだっけ?」
「何をやり遂げた人だったんだろう?」
そんな風に、大切な人を悩ませてしまうのは、あなたの本望でしょうか?
違いますよね。
大切な人には、心底あなた自身について、理解してほしいですよね。
理解されるための努力をしていますか?
「瞬間の発露」でしかない、感情を、理解されたとしても、それはその瞬間で終わりです。あなたの人生を通じて、残っているほどの感情はよほどの感情。感情というレベルでは終わらず、「行動」や「実績」として結晶した感情以外は、お通じと変わりません。出して終わりです。
快・不快や、好き・嫌いと言った「感情」の弱いところは、なんといっても長続きしないことです。
例外は、『ハンター・ハンター』のクラピカくらいのもので、感情に任せてたら、どんな目標を掲げていたとしても、99%ゴールまでたどり着くことはできません。途中で「しんど」「めんどくさい」という新たな感情がわいてきて、最後「うやむや」になって終わります。
その癖、やってる感はあるのです。「やってる感」だけは。
ちょうちょのように、花から花へ…とまれや遊べ、遊べやとまれ…それはそれで美しさがあるのかもしれませんが、やってる感しかない人生で、何も積みあがらないむなしさを避けて通ることができません。
クラピカ:「死は全く怖くない一。番恐れるのはこの怒りがやがて風化してしまわないかということだ」
行動や成果に結びつかない感情は、葬儀の時にスピーチで話すほどのエピソードではないのです。
そもそも私たちには無限の富もなければ、無限の時間もありません。人生で出来ることなど、たかが知れています。
有限のリソース(時間、資金、人脈、その他使えるモロモロの資本)を、いかに効果的に使って、望みを叶えるか?
自分の本望とは全く関係ないことに、エネルギーを割き過ぎてはいないか?
クラピカの場合、彼の墓石に「復讐者」と書かれても異論はないでしょうけれど、あなたは復讐を遂げれば満足というほど、強い感情を維持できますか?
というか、あなたの望みとは、どのようなものでしょうか?
その目標を達成したとして、墓石に「◎◎を願った人」と書かれても、嫌ではない望みがありますか?
たとえば人生の目標が、快楽を得ることであれば、麻薬におぼれてもセックスに耽溺してもいい。ダメだという理由はありません。本人の命です。使い方は、本人が決めていい。
人生の目標が、お金であれば、カジノ…は無理でもパチンコ屋を経営するのがいいかもしれません。
なにせ、パチンコは20兆円産業だそうで、まともな仕事をするよりよっぽど儲かります。ちなみにコンビニは、5.2兆円、歯医者は3兆円をちょっと切るくらいだそうです。
人が喜んでお金を払うものを、良いものだというなら、だれも農業なんかやらずに、パチンコ屋を経営すればいい。そんな社会になってしまった後になって、誰ならモラルを問う資格があるでしょうか?
きっと、死んだときには、「お金が大好きな人でした!」墓石に彫ってもらえることでしょう。
あなたの望みはなんでしょうか?
ゴールや目標設定なしに、取り組んで、ゴールできたとしても、その時の気持ちは、たいてい「なんだかなぁ」とか「悪くはないんだけど…」というものに(治療も同じ)
望みの大小は問わず、自分の望みを再確認してみてください。
そして、その望みを真実叶えたいのなら、決して感情の奴隷にならないようにしてください。
ささやかな望みですら、ボーっとしてたら大体、叶わぬまま、うやむやになっていきます。
望みはちゃんと紙に書いておくことです。
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PROFILE
山崎 美穂 やまさきみほ
鍼灸師(国家資格 はり師+きゅう師)
大阪の女性鍼灸師
子どもの頃、仕事と主婦業で忙しい母親を見て、「忙しくても通い続けられる治療院があったらな」と思ったのが、開院の動機です。
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