ちょっとへんてこな話をします。
私の母はある宗教を信じていましたので、私も宗教には関心を持っていました。
しかし、母が信じる宗教を素直に信じておくには、「勉強」し過ぎてしまい、私の関心は比較宗教学といった学問方面への関心に向かってしまいまして、結局今は、「仏教徒です」とはいえるのですが、どこかの宗派には属していません。
たぶんこれからも。
私が「家」の宗教…たとえば父方は代々浄土真宗だとか、母方は曹洞宗だとか、そういう既存の宗教に落ち着けなかった理由は、同世代の人にはなんとなくわかるのではないでしょうか。
オウム真理教事件です。
あれで、無宗教といわれた、私たち日本人も、宗教というのが、知らないうちに背後に忍び寄ってじっと立っていたような、ぞわっとした気分を味わわされました。
宗教をこれまで以上に「要注意」「要警戒」の存在と感じました。
私は、宗教に対して忌避する気持ちはないほうでしたが、さすがにあの事件では、「宗教怖い」と思ったものです。
しかしながら、同時に、湧き上がる興味も抑えられませんでした。
なぜ、頭もよい、経歴も立派な若者が、宗教の世界にひかれてしまったのかという疑問。近づくには怖いけど、知らないままでいるには、もっと、もっと怖い。そんな気持ちになりました。
宗教ではないですが、数年前私は、お誘いで倫理法人会という団体に所属していました。
世の中をどう生きていくか、いかに企業を経営するかについて、勉強する経営者の勉強会だ、とはいっても…
宗教の「いかに良く生きるのか」という方向性、あと団体を作るところ、人に教えようとするところ(布教)、倫理法人会は、宗教と本質においてどう違うかというと、あまり違いません。倫理法人会はそもそも創始者の方が宗教家でしたから。
でも倫理法人会以外にも、似たような団体いっぱいあります。団体じゃなくても、「自己啓発」とかいうものはどうか。ほとんど宗教、ほとんどカルトの団体があるんじゃないか?てなことを思います。
宗教と名乗ってなくても、宗教と大差ないものは、この世に山ほどあります。
私なりに整理した考えを書いておきたいと思います。
というのも、治療の世界にも、宗教染みたところがあるからです。
実際問題、治療と、人の生き方と、きれいに分けきれないところがあります。
患者さんの一部には、間違った生活習慣を、宗教的に信じている人がいて、治療家が、そんな患者さんに古い信仰(生活習慣)を捨てさせて、新しいやり方を教えるため、過激で極端なやり方、つまりかなり強い押し付け、強制という方法をやってしまうということがある。
たとえば私も、患者さんに古い考え方を捨ててほしいと思うときは多々あるんです。
具体的を言うと、「野菜信仰」のような「古い健康食信仰」
明らかに鉄タンパク不足で、貧血、冷え性など、具体的な課題が見えてるような人には、はっきり言って古い信仰を捨ててほしいとは思う。でも食生活って、習慣とはいえ、どこか信仰みたいなところがあるんですよね…
今の野菜は促成栽培や、品種改良、農薬の進歩なんかで、昔の野菜とは全く別物になっています。野菜というよりフルーツ。しかも栄養のない甘味に近いのです。
ニンジン、私は大好物ですが、昔はどぎつい味がしてました。
野菜のえぐみが、今の人には嫌われるのです。
そこで、農家がおもいっきり消費者に寄り添った結果、味も淡く、えぐみはなく、同時に栄養もスッカラカンの、ニンジンが市場を占めるように。
野菜信仰が、栄養的には困るのです。
宗教とは何か
私は宗教を、「死についての仮説」だと考えています。
宗教は一言で定義しにくい。神を信じる宗教もあれば、信じない宗教もある。
ゴール設定も、天国に行くと考える宗教、死後に何か怖い目にあわないで済むようにしようと考える宗教、輪廻から最終的に離れることを目指す宗教、神仙に昇格することを目指す宗教、色々あります。
しかしどれもこれも、人間が「将来の自分の死」を予見できることからスタートしている。
死がどんなものか分からないから、神や法という絶対的な基準を設定して、その上で、人生とはいかに生きるべきか、どう生きたら、死後、良い結果がもたらされるのか。死後のことを考えて、「いかに生きるのが"正解”か」という「人生の渡り方」を教えているのが、宗教です。
ようは、生き方の「正解」というものを、「死後」を設定することで私たちに教えてくるのが宗教。
余談ですが、今世界的に流行っている宗教は、ヒンズー教だそうです。なぜかというと、アメリカでの調査ですが、多くの人が、なんとはなしに「生まれ変わり」というものがあることを信じてるからだそうです。属しているのはキリスト教でも、転生という考え方を受け入れているなら、それはキリスト教徒とは言えない…そうです。
一方、自己啓発団体は、「いかに生きるのが"正解”か」について、「死後」を基準に考えてはいませんよね。実生活で、事業で、人間関係で、具体的に役に立つアンチョコ、ノウハウを教えているのが、自己啓発です。
以前は、そういった、生き方のノウハウも、宗教の役割でした。なので、宗教と、倫理法人会のような自己啓発団体との違いを、一言で説明するなら、宗教は、自己啓発などあらゆる学問の「上位互換」だといえます。
ただ、長い歴史があるだけに、宗教は、組織防衛に走りすぎて、「いかに生きる」かを教える教師の部分が弱くなっていますから、その隙間を、現在は自己啓発が埋めているということになるでしょう。
宗教の枝葉末節を省いてみれば、どの宗教もとても似ています。
人が、宗教に求めているものが、同じだからだと思います。
人が宗教に求めているもの。それは死の不安と、どう生きるのが正解かわからない不安に回答することです。
「いかによく生きるか」という点には、比較優劣があります。
へたくそなやり方と、うまいやり方というのが、明確にあります。
うまいやり方をできている人は、悠々楽々と生きているように、はたから見えますから。それは単にお金を持ってるとか持ってないとかじゃないです。とくに現在は、金銭的成功以上のものを人々が求める傾向があるので、ただお金を持ってる不幸な人が、明らかに軽く見られています。
宗教は比較してもいい。
治療も比較したらいい。
どんどん、比較して、優劣を比べたらいいのです。
どちらがよりよく生きられるかに、差があるのですから。
宗教も治療も、何か神聖視する傾向がまだありますので、皆様には、そうじゃない視座を持っていただきたいのです。
この記事が、皆様のものの見方を、多少なりとも変えられれば、書いてよかったなと思います。
全然関係ないですけど、コロナで不安が蔓延しているのか、うちの院に、幸福の科学の著者の本、聖教新聞、今日はなんか知らん女性の講演会(講演会をよそおったスピ系宗教)のチラシが投げ込まれていました。
人の不安につけ込む輩は嫌いだなと思いました。
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PROFILE
山崎 美穂 やまさきみほ
鍼灸師(国家資格 はり師+きゅう師)
大阪の女性鍼灸師
子どもの頃、仕事と主婦業で忙しい母親を見て、「忙しくても通い続けられる治療院があったらな」と思ったのが、開院の動機です。
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